「第887回経営者モーニングセミナー」中澤淳さんのお話し②

2021年06月11日
飛騨高山倫理法人会のブログへようこそ

今日もなかなか暑かったですね。
昨日に引き続き、経営者モーニングセミナーでの中澤淳さんのお話しをご紹介します。

「第887回経営者モーニングセミナー」中澤淳さんのお話し②




昨日のお話しはこちら

昨日の続き

父は自分の母親が亡くなったとき家族というのはいつ一緒にいられなくなっても不思議ではない、今一緒にいられることが奇跡なのだ。
だから家族と一緒にいる時間を大切にしなければならないという考えを持っていた。

今になって父の言ったことがよくわかる…


父は物を作ることが好きで、工具もたくさん持っていた。
私の小学校の夏休みの作品は父が作った(笑)
私は隣で色を塗っていた。

小学2年の時の作品は学校で金賞、高山市でも金賞で
最終的に岐阜県知事賞を取ってしまった。

毎年賞をもらっていた。

高校時代に父と二人で旅行に行った。
小さいころから三国志が好きだった私を「三国志を訪ねる旅」に
誘ってくれた。
父は私が何をしたいかということを考えてくれていた。
旅行先で父に一生懸命説明した思い出がある。


高校卒業後、一年浪人することになった。
「東京の大学に行くのなら、東京に行ってその環境の中で浪人しろ。
遊んでしまうといけないから携帯電話は持つな!
そのかわり、お父さんが毎日手紙を書いてやるから」


と言った父は、ほぼ毎日手紙をくれた。
350通くらいもらったと思う。

手紙の書き出しは
「淳がんばっているか?父さんもがんばっているぞ!」

手紙の最後には
「一緒に頑張っていこうな!淳の一番の応援団の父より」
と結んであった。



大学時代、父は上京すると毎回
「君の夢は何だい?」と聞いてきた。

そのことに答えられないと自分が否定されている気がして
父と話すのが苦手だった。

社会人になって、父がずっと夢を追いかけて生活していたことを強く感じた。

父の机にはこんな言葉があった。

『車はガソリンで走る、人は夢で走る』



父は倫理法人会の活動にも熱心だった。
会長をやったり県の役員をしたこともあったようだ。
父の書いた激励のFAXが出てきた。



私が高山に帰ってきて最初に取り組んだのが「泣き相撲」のイベントだった。

父は生前「自分には人生で3つ自慢できることがある。」と言っていた。

一つ目はさるぼぼを全国区にしたこと。

二つ目はさるぼぼ製造協同組合というさるぼぼのブランドを守る組織を作れたこと。

三つめは泣き相撲飛騨高山場所という事業を始めることができたこと。


高山に戻った時、第一回の泣き相撲が始まる前で、実行委員会組織があって開催日が決まりチラシもできており、協賛金も集まっていたが
中身が全くできていなかった。

これはまずいと思い、携わるようになった。
父と母と自分の三人で毎晩議論をしながら準備していった。

泣き相撲は大成功だった。


後日打ち上げで父が
「大変だったけど、楽しかった。これからも楽しいことをして、高山を盛り上げていこう」
と話していた。

私は父、母とともに大きな事業をやることができたことが楽しかった。



「飛騨のさるぼぼ製造協同組合」という組織は、さるぼぼというブランドの保全、品質の安定を目的にして2006年に作られた。
それ以前は各社ばらばらで粗悪品もあった。
同業他社からはずいぶん反発されたが、大手の資本によってさるぼぼが食い物にされるのを防ぎたいという使命感で作った。

現在は発足15年で、さるぼぼが土産物としてばかりでなく、企業のキャラクターとして使われるようになっている。


「そしゃ感染対策やぞ」

さるぼぼ製造協同組合の事業の一環で、市民が集まりやすいところに感染対策として
さるぼぼを寄贈する事業。
父が臨んだ最後の活動

かなり体調が悪かったにもかかわらず市役所に行き、市長にさるぼぼを寄贈した。

母は行かないで欲しいといったが、さるぼぼのことなので行かないわけにはいかない
と無事に寄贈することができた。

しかしその後体調を崩し入院。




父は2019年夏にがんが見つかりすぐに手術。
いったん持ち直したが昨年4月再発

9月頃主治医に抗がん剤治療が難しく、緩和ケア病棟をすすめられた。

自分たちの結婚記念日と姪の誕生日の時実家に集まり、父も外泊をして
食事をした。食が細くなっていた父がびっくりするくらい食べたが

父は「やっぱり家で食べるご飯はおいしいなぁ」と泣きながら食べていた。

10月に入り、主治医からは「もういつ終わりが来てもおかしくないので、覚悟するように」と言われた。
家族にはどのように伝えたらよいのか困ったが、姉二人に伝え、最後に母にも伝えた。

上の姉は仕事をすべてリモートワークにして一ヶ月以上高山にいてくれた。
父からは口止めされていたが、社員にもこの時に伝えた。

10月半ば一時危篤になった。その後持ち直したので、父と一人ずつ話しをした。


その時に生まれて初めて「父の子供でよかった」と伝えることができた。
父は力のない手で30年ぶりくらいに頭をなでてくれた。


その日のうちに意識がなくなったが、4日後奇跡的に意識が戻りそれから
一時すごく元気になった。


10月28日に主治医から「自宅に帰るなら今だ!」と言っていただいて
父は念願の我が家に帰ってくることができた。


そして11月4日息を引き取った。


亡くなる少し前まで父と仕事の話しをして、仕事に出かけた。
亡くなった時にも私は仕事をしていた。仕事人間だった父が
仕事をがんばれというメッセージだったと受け止めている。


遺品整理をしていて父の10年日記を見つけた。
毎日まめに書いていたようだった。
2015年あたりから、3日に1回くらいのペースで私のことが書いてあった。


5年8か月という短い時間だったが父と一緒に仕事をして、心配もかけ
見守ってもらっていたのだと感じた。

もう大好きな父に感謝を伝えることはできないが、父の残してくれた会社や
仕事を引き継いで頑張って恩返しをしていきたい。



「第887回経営者モーニングセミナー」中澤淳さんのお話し②






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